彼は物心がついたときから、いつも何かを「作る」ことを考えていた。「形」にすることで作り方を身につけ、自らの感覚を憶える。それに触れた人の目の輝きを見て、また次の何かを作っていく。

その「形」は、手に取れる、目に見えるものは当然、遊びや仕組みや集まりであっても、彼にとっては完全に等価だ。共に楽しむ、伝えあう。その瞬間の喜びのために、彼は見返りを求めることなく、想像を絶する努力を払い続ける。

誰もが心に持つ秘密の宝箱。そこに入るきらめきを、ひとつでも多く生み出すために。想いを託した指先に灯る、その魂の光に触れる。

ノスタルジアとの邂逅

今回の作品を考えたきっかけは?

説明に書いた「ノスタルジアとの邂逅」っていうのは、ひとつはモナリザっていう、誰にでもDNAレベルで刻みついてるものに対しての郷愁感で。もうひとつは木なんだよね。

木に対しても、この作品の中のチップのどれかが自分の机だったり、積み木だったり、もしかしたら近いモノがあるかもしれないじゃん。思い出のなかの木、そこに結びつくことがあるかなあって。

それは、この部屋の感じを見てもらってもわかるかも。木は木でも、テーブルがチークだったり、あのスピーカーや、机の天板がウォルナットだったり。ソファの肘掛けがタモだったり。木の表情、手触り、模様、かぶらない感じ。何か好きなんだよね。

自分も作品を作りながら、そういう結びつきを感じたりするし、見てる人もそれが紐づけられたら面白いなって。

あと、打ち合わせのときも「飾れるものにしたい」って話があったよね。きちんとカッコいい、プロダクトとして欲しくなるようなもの。

寄木細工とか、広松木工のチェストとか、そういうのにすごく惹かれる。ここらへんから感じるものはあったかな。半分、家具っぽいものを作りたかったね。木のナチュラルな地色の組み合わせで表現するってことと、自分のグラフィックを上手く掛け合わせることができないだろうかと。

視覚往還と思考

そこでいくと「ピクセルなんだけど木」っていうところが、ユーキくんぽいなと思った。

なかなか今まで木のポスタリゼーションって見たこと無かったからね。全体で描き出す、遠くから見たモナリザの見え方。近くに寄って実体をみたときの無表情じゃない 1px の驚き。モナリザとチップの中に隠れている表情を行き来したい。

逆に、記憶の木とブレてしまいそうだから、着色された木は使いたくなかったしね。だから材料を購入する時、全ピースを選別してきて。

同じ種類の木でも表情が違う。コーヒー豆を見る職人みたい。

自分がいいと思った木を選りすぐって、あとはそれをどう並べていくか。木の表情や木目を読んで、隣合う木の色を気にしながらピース組んでいくから、時間も掛かる。

あと実は、最初にこれの原案を考えてた頃は、なんか削りたくて(笑)やすりとかで木に触れる作業をしたかった。

職人っぽいものに対する憧れみたいなのがずっとあるんだけど、デザインって刀鍛冶と何か似てるなと思ってて。要はどんどん詰めて、削って、研磨して、精度と切れ味を上げていくわけじゃん。そういう感じで、ひたすら木を気持ちいい形でヤスリで削るっていうのと、ひたすら文字組していったり、大量のサムネイルをトリミングしていくのって、何か似てる気がする。

それを普段でもやってるし、今回はアナログでもやってみようと。

普段はPCで1px小さくするっていうところを、今回はカッターで1mm削るみたいな(笑)。普段やってることの、もっとギルドスタイル、もっとアナログな感じ。制作スタイルとしてこの感じをやりたかったところがあるね。やってるときは禅に近いというか、トラックの音とかが聞こえて。作ってるときは没入して延々作ってて、それの総量ですごく良い物になるような。

昔からこういうの好きだしね。どっかで自分の中で特別な才能がないと思ってるから、人をゾッとさせるような努力、人がやらないとこまでやるっていう表現をよくやってて。そういうのを見るのも好きだしね。

誰もそこまでやらないだろうってことをやってやろうと。

ずっと床に座ってチップを貼り続けてるから、ちょっと腰が痛いけどね(笑)でも、だんだん出来てきた。

だいぶ進んで、顔が見えてきたね。回線が異常に遅いころの、最初期のインターネットみたい。1行の単位でピースをはめ込んでいく感じが、すごく走査線のイメージに近い。

確かに、その感覚がある。そういや、完成図を紙に出して壁に貼ってるんだけど、風呂から出てきたときに「誰かいる!?」とか思って(笑)ビクっとするんだよね。

これはユーキくんならではって感じがする。木と、職人と、アナログと、デジタルと。集大成的な感じ。これを考えたとき、自分自身のひとつひとつの要素を考えてこれにしようと思った?

グラフィック要素も絶対入ってるからね。どういう柄にするか?とか。近くで見てても楽しいもん。でも集大成みたいな考えはなかった。ふたを開けたら結果的にそうなってるけど、そこは必然だった気がする。

すごくピタッとハマってるよ。こういうのって、悩んだあとじゃなくてパッと出てくるイメージがあるけど。

でも、悩んだ部分もあるよ。最初のミーティングのときはペラッとしてる木の紙の案を出したし。でもそのとき、さこっちから「まだ行けるんじゃないの」みたいな空気が出て(笑)。とはいえ、確かにまだ行けるような気がしてね。次のミーティングでは、でっかいやつ作ってみんなの前に出したじゃん。あのときのさこっちは、それまでとぜんぜん違う表情してた。

(笑)ただ、木を使ったグラフィックという点では、コンセプトは最初から同じだよね。

確かに、そこはブレてないな。

大量生産の夢

一品モノというよりプロダクトに興味があるということだけど。

一品物にも興味はあるんだけど、やっぱり大量生産が好き。人の生活に入っていく大量生産品って夢がある。

いろんな人がそれを使って、いい気持ちで暮らして行けるようになる。広がりがあって、社会性があるってことか。

そこのパワーに魅力を感じるよね。サイトもそうじゃん。デザインするときに向こう側のことをすごくイメージする。ウェブだったらブラウザの向こう側。それがある程度未知だったりするなかで、どう作用していくか。そこに大量生産のパワーを感じる。それを扱うときには、ある種の使命感もあるし。そこにシビれる、憧れる(笑)。

ウェブが大量生産プロダクトっていう見方は面白いね。データが一緒でも受け取り手としては「一個」として見てるわけで、状況によってそれは一つの「モノ」に成りうるってことだね。

最近で言うとスマートフォンのアプリとか、ホントそうじゃん。

あれは確かにそうだね。ひとつのデータから複数の端末に入るけど、よりモノ感が強い。インストールされるからだろうね。スマホっていうこともあるのかも。

それ一個を買ったりするから、モノなんだろうね。そして手に収まる物質感もある。

今回の作品も、フォーマットがあるよね。

番号つけて「ここにコレを置く」って完全に記してあげたら、子どもでもパズルと同じように作れるね。でも「どれぐらいトリミングするか」「どの木をつかうか」「色の着地点」ってあたりはやっぱり俺の目が重要な部分で。

完全オートマチックじゃなくて、人の手を必要とする大量生産物っていうのが結構好き。何層も入れたシルクスクリーンのポスターとかもそうじゃん。シルクの版はあるけど、スキージをする人の手が、その人の力量があって、ちょっと重ねるのがずれちゃうと違う雰囲気になっちゃったり。

半製品みたいなことかな。

そう、そういうものを作りたいなっていうのがあった。……でも「大量生産カッコいい」っていうのと、「職人カッコいい」っていうのが共存している感じが、自分でもよく分からないけど(笑)。

大量生産品であっても、そのなかで質がいい、日常を豊かにするような製品には、結局のところ手が掛かる、ってことかもね。そういうものほど普遍性を持って残ってる感じもあるし、完全に一品モノだと「日常」じゃなくなっちゃうし。

なるほど、言ってることすごいわかる。そういう所で言うと、自分はもう血のレベルでミッドセンチュリーが好きなんだよね。これは血だと思う(笑)。あの頃の時代に対してのエネルギーもすごいし、タイポグラフィもグラフィックも好きだし。イームズウェグナーの家具も。そのころの造形やエネルギーを体現したものがすごく好き。

いまから60年前だけど、いま見ても新しさがある。古く感じない、普遍性があるよね。製品じゃなかったモノ、あつらえモノがプロダクトになっていく流れから、半製品、そして家具……って繋がってるのかも。

そういうことかもね。ドイツに行ったときはすごくドキドキしたんだけど、パリの文化や装飾にはあんまり興味がなくて、実際に行ってもあんまりだったんだよね。前世がドイツ人だったのかも(笑)。

ものづくりのルーツ

子どものころってどんな感じだった?

すごく小さい頃は、ブルーナの絵本をずっと読んでた。ブルーナは、ムラのない色の塗られ方とか、線の感じ。点で線を書いてるっていう、線の太さの取り方にデザインを感じる。もともとあの人デザイナーだしね。

あとはね、だるまちゃんシリーズ。この「だるまちゃんととらのこちゃん」。これもう、完全にグラフィックなんだよね。カッコいい。夢中になってこれ見てたな。色が抜けたり入ったり、パターンの感じとか、自分の中ではかなり強烈だった。

なるほど、絵本はグラフィックの側面がある。

そう、ミニマムなんだよね。

そういや、自分らがすごくちっちゃい頃は、日本のポットとか家電とかカーテンとかってベタ塗りのパターンとか花柄とかのデザインってけっこうあった。その時はグラフィックとは思ってないけど、実際そういう感じのものって周りにあったのかもしれない。

確かにあったねー。

少し大きくなって、小学生の頃は?

小三ぐらいのときかな、学校の時に石が校庭にあって、それをひたすらガーッって削って、木の先につけて、槍を作ってた。病気だよね、完全に(笑)。

危険(笑)。

2・3人ヤレる(笑)。

それ、なんか記憶があるな。ドラえもんで、石器時代に行っちゃう回があって、のび太がやるんだよね。黒曜石を割ったりして。

そうそう、のび太の日本誕生。いかにもな服着てね。ハニワが出たり、土偶がでたりして……そこで出てた槍がすげえなって思って、それで作ったって感じだったかも。なんかそうやってチョビチョビ精度を上げるのが好きでさ。

あの服、気分がでるからっていう理由で着るんだよね(笑)。なるほど、昔から突き詰める系なんだね。でも子どもってさ、ヤスリとか嫌いっていうのは多いんじゃない?プラモのバリ取らないで組んじゃうような。

そういうところもあるんだけど、変にハマると異常な集中力が出るから。粘土をひたすら球に、3.14のあと3桁先に行くぐらいの精度を目指すとか(笑)。泥団子も良く作った。ツヤツヤにしてね。いまやってるデザインとあんまり変わらないよね。

そういうのってどこでやってたの?

空き地。完全にプライベートワーク(笑)。どっちかっていうと、美術はあんまり好きじゃなくて、むしろ工作が好きだった。今もどっちが好きかっていったら工作が好きなんじゃないかな。2Dより3Dというか。

でも、今も工作の感覚で2Dを扱ってるのかもよ。絵を描くというよりは、形をつくって組み合わせるような。

なるほど、そうかも。

そういや、ユーキくんはゲームをあんまり通ってないんだよね。

ファミコンは人より早かったけどね。F1レースやってた。あとスーパーマリオ。マリオはけっこう得意だった。

逆にRPGがすごく苦手。なんでアリアハンでレベル上げしないといけないのかって(笑)。一個だけ、ゲームボーイで「カエルの為に鐘は鳴る」はやったね。あれは半アクションみたいなところもあったし、ストーリーも良くできてるしね。

ちょうどSTARRYWORKSの木村くんとその話してて。もともとゲームって自然の中にあることがベースにあったりするじゃん。単純にボール投げて跳ね返ってくる力学的なところはアナログでも体感できるよねって話をしてて、ホントそうだよなと。

ゲームの方が伝わりやすい子がいるのかもしれないけど、俺らはふつうに外に遊んでいるほうが覚えるものあったなーって話してた。

俺はたぶん「ゲームの方が伝わりやすい子」だわ(笑)。ほかにどんなことして遊んでた?

そうね、あとはレゴとかかな……東急ハンズも好きだったな。東急ハンズで丸い発泡スチロールみて超ドキドキしたもんね。「丸い!すっげー!」って。そこからハロ作ったりしたよ。油性マジックで書くと化学反応でへこむじゃん。それで筋つけて、バネつけたり。いっぱい作ったな。

すごいね、それいつごろ?

それも小学校ぐらいかな。そうそう、あと「元祖SDガンダム」。親に買ってもらったんだよね。まだνガンダムしか出てなくて「なんだこのすごいカッコいいの」って。

BBガンダムは少しチャチかったのよ。小さいし軽いし。でも元祖SDガンダムはけっこうプラスチックががっちりしてたし、頭のところがゴムっぽい素材でできてて、ちょっとムニュッとなる素材感もあって。カチッとしたものが好きなのね、頑丈なものが好き。あとBBガンダムは1〜2色でショボい感じなんだけど、元祖SDガンダムは塗らなくても色が綺麗に分かれてた。

で「νガンダムめっちゃカッコいい」と思って、カードダスも流行ってたから、それもハマった。カードダス集めたなー、めっちゃ集めたよ。カードダスの1番がνガンダムでね。

SDガンダムってことはボンボンだね。

意外にも、そんなに読んでなかったけどね。あとビックリマンも好きだった。そこも影響あるよね。単純なマンガっていうより、ビックリマン、ガンダム、ドラゴンボールみたいな、マンガから派生した遊びの仕組みがあるような作品に熱心だった。

だから、自分でゲームを良く作ってたの。丸の中に友達の名前を書いて、その丸から魔貫光殺砲出したり(笑)。「ドンッ」とか、マンガっぽい袋文字書いたり。

みんながテレビゲームやってるあいだに、そういうのとか、カードゲームとか作って、よくやってた。モノポリーみたいなやつも作ったね、さいころ投げてマスを進んでイベントカード引いて。みんながその新作を期待しててね。

あるものをやるんじゃなくて、自分で作るのが好きだったんだね。フォーマットとかルールをごく自然に作ってきたっていうところが、仕事にも、今回の作品にも、mokuva にも繋がってるのかも。

確かに、そこまで戻ると俺がいまこの仕事についてるのはごく自然だよね。なかったら作ればいいじゃん精神、DIY精神がある。UFOキャッチャーとか、コインを落とすゲームあるじゃん。アレ作ってたからね(笑)。ほんとは電動でやりたかったけど難しかったから、手でやって。ボタン押したら裏からクレーンを動かして(笑)。

「とにかく作る」っていう方に進むのが面白いね。

テレビゲームがよくわかんないところがあってね。それをクリアしたところで1円の得にもならないって思っちゃう(笑)。もちろんそのあいだのストーリーがあるんだと思うけど、自分としては作るほうが楽しい感じがあったから。見ているのがあんまり好きじゃない。

用意されたものを、用意した側の形でやらされるのが好きじゃないってことか。

いろんなことに対してそれがあるかも。スポーツ観戦があんまり得意じゃなくて、下手でもいいから自分でプレイしたほうが面白いじゃんって思っちゃったりね。

こうやって聞いてると、突然変化があったんじゃなくて、子供の頃やってたことをずっとやってきたってことなんだね。

そうだね、ゲームを作る。ホントそう。

就職後の転換

すぐに自立したかった、っていうのは何か理由がある?

家に不満とかは全くないんだけどね、心配性なんだよね、たぶん。アタマがいいわけでもないから、普通のサラリーマンになったらヤバいっていうのはあったな。だから手に職があればって思った。

高校に入る時から?

昔っからだね。昔は和菓子職人になりたかった(笑)。

それ、いまでも近いものは感じるけど(笑)。当時はグラフィックは意識してた?

あんまり意識してなかったかな。親父はインテリアデザイナーで、芸大出てるから、絵も単純にうまいんだよね。もしその影響を受けてるとしたら、電気とかよりはグラフィックのほうが、インテリアに近かったはずなんだけど。でも、なんでかわからないけど電気科に入ってハンダでちょこちょこやったり、C言語書いたり、ポケコンいじったりしてた。いま全部忘れてるけど(笑)ハンダとかは好きだったな。

ちなみに高校の時にはグラフィックアーツ科、いわゆる印刷科っていうのがあったんだよね。いま入りたいぐらい(笑)。なんで入らなかったんだろう。でも入ってたらロクなもんにならなかった気もするけどね。

就職は?

学校斡旋みたいなのがあって、学校の中で選抜が行われるの。第2種電気工事士っていう国家資格を取ったりしてたし、成績もその学校では割と良かったから、そつなく選抜に残って。で、学校内で残ったらほぼ絶対入社できるような感じ。毎年採ってる感じだったからね。

ラクだし、ある意味いい会社だったよ。でも、なんとなく自分が墓に入るまでが見えちゃうような、決まり切った感じが俺には合わなかった。

それで、弾き語りを始めるんだよね。

なんか一個しかできないの、俺って。高校の時はずっと柔道やってた。3年の夏で引退で、そのすぐあとに就職ほぼ決まったから「あ、やることないな」と思って(笑)。

ばあちゃんち、天王寺ってとこの近くなんだけど、そこの橋の上で兄ちゃんが弾き語りしてて「かっけーな、いつかはやりたいな」と思ってたんだよね。そしたら家にオンボロのガット・ギターがあって、それでボロンボロンとコードを弾き始めたら、けっこう面白かった。それが始まりかな。

路上にでたのはすぐ?

それが目的だったからね。1曲なんか弾けるようになったらすぐ路上に出た。まるで病気のように同じやつを延々と弾いてた(笑)。

やってるときってどんな感じだった?

気持ちいいよ。外だし、開放感があって、自分の声が響いて。外で寒かったり暑かったり、ときどきおっさんがお金くれたり、ラーメンおごってくれたりする。興味ある人は止まって聞くし、ない人は通り過ぎてく。誰も止まらなくても、それはそれで切なくて良い感じだったりね。

今までと違う人生を歩もうと思ったのは、弾き語りの影響があるのかな。

それはあったと思う。オリジナルの曲を歌ったりしてたんだけど、それが自己啓発になってたのかも。意識はしてないんだけど、振り返るとそうだったのかもなって。あと、弾き語りが単純に楽しかったからね。「いま生きてるな」って。

仕事は仕事で、趣味は趣味みたいな話もあったりするじゃない?

たぶん「仕事は仕事」っていうのが上手くできないんだと思う。一個しかできないから。だから柔道やってて、次はギターだけずっとやってて、デザインを始めたらギターやめたの(笑)。自分が心の底から打ち込むって意味でね。おもいっきり懸けるのは、なんか一個しかできない。

あとは「生きてる時間」かな。18時~2時までしか生きてなかったからね。死んでる時間が長すぎた。

グラフィックとの出会い

会社をやめて専門に行こうと考えたとき、「懸けよう」と思ったのがグラフィックだったわけじゃない?その理由が気になるよね。

なんでだろうね……。親父がインテリアデザイナーだったからかなあ……。

強いて言うならば、ファッション的な文脈はあったかも。A BATHING APE とかね。特に裏原系のファッションが結構好きだったんだけど、服以外にも付随するカルチャーがいろいろあるじゃん。グラフィック、テキスタイル、フィギュア、ポスター。

昔の APE だとシーズンごとにロゴがあったりね。あとは紙袋とか。昔の APE の紙袋、超カッコよかったんだよ。まんなかにちょっと紫っぽいのが入ってて、いま見ても結構ドキドキする。そういえば、アメリカ村の APE に朝から並んでたりしてたな。

あと、NEIGHBORHOOD でデニムを買うとこの袋に入ってきて、しかもデニムがこんなん(封筒みたいなやつ)に入ってくるの。めちゃめちゃカッコいいじゃん。型番が書いてあってさ。裏とかもカッコイイ。だから、ただのファッションではなく、裏原の内包するカルチャー全体のグラフィック、ブランド、そういうところに何かピーンと来るもんがあったんだろうね。

そしてなんか、自分もできる気がした。「わかってる」という気になってたのかな、「俺はこのオシャレがわかるから、作れる」って。感覚値が近いからできそうな気がしてたし、あと単純に面白そうだった。

服そのものっていうより、それを演出するツールセット、全体をかたどるブランドに関わりたい、それを作りたいって思ったのかも。

でも、最初はナメてたよ(笑)。TシャツとかステッカーとかCDジャケットとかを作って暮らせればと思ってた。

でもそのへんは、最初の入り口としてはあるよね。自分が業者に発注することができるレベルだから、投影しやすい。

あと、路上でやってたけど、音楽では行ける気がしなかったんだよね。自分の中で職人というかギルド精神というか、「職能」というのは自分の中で大事な感じがあって。音楽はほんと一握りの人のもので、自分の職能ではない気がしていた。だけど、グラフィックのデザインっていうのは職能として感じられて。当時の裏原系の台頭で、一気にそこらへんのポジショニングが明確になった気がした。

単純に「グラフィックデザイン」っていうと広いけど、そういう話を聞くと納得感ある。一揃えになったもので演出するみたいなところでは、インテリアと繋がるところがあるのかもね。

そこは確かに思う所あるね。

あと、ユーキくんの作るグラフィックは、質感や触覚も気にしてるじゃない?紙質も、印刷の質感も。そういうところにはインテリアの文脈だったり、モノとしての考えがあるんだろうなって。

2Dではなくなる、印刷した瞬間に触れるものになるもんね。テロっとしてそうだとか、ザラっとしてそうだとか。

こういうの(NEIGHBORHOODのパッケージ)もさ、見てるだけじゃなく、持って帰ってるわけじゃない?そこでやっぱり「触ってる」感覚があったんじゃないかな。モノにできるような。

それはあるね。あとは「コレがある生活」っていう感覚かな。

日常に入ってくる感じだよね。気に入ってるものが部屋にあると、日常が良くなる。

それはね、ホントある。自分が服を買う時って「これが日常にあったらどうだろうか」って考えて買うんだよね。だから、このパッケージで受け取ったときの「元の服がもっともっとよく感じる感覚」は、裏原的なグラフィックの文脈とすごく合うということを感じ取ってた。

モノの価値って、誰が作ったとか、どういう見え方をするっていうのを含めて価値だからね。

確かにそうなんだよね。

専門時代

専門学校、ヨザゲリラと一緒だったんだよね。

全員学年が違うけどね。ヨザ、ゲリラ、俺っていう順番。もしかしたらゲリラと俺はすれ違ってたかもしれないけどね。ゲリラはCG科。俺はグラフィックデザイン科。ヨザは夜間で……よくわかんない(笑)すぐやる科(笑)。

(笑)どんな学生生活だった?

学校の授業は割とそつなくこなしつつ、近くのジュンク堂でずっとデザインの本読んでた。ブレーンとか +81 とか Design Plex あたり。

ここでまた、グラフィックデザインへの興味が加速してるんだよね。これ、成田インスペクテッドって本なんだけど。要は日本の、DTPが出て割と自由にいろいろ出来るっていうときに、日本の代表的な人を集めた本で。これほら、サイン入り。

うおー懐かしい!そしてカッコいい。

専門時代の前半は、こういうのを見て過ごしてたね。

師匠・佐古田英一氏

そしてユーキくんの師匠との出会いが。

ここがデザイナーになる前の、一番のターニングポイントかも。

授業で、ADC年鑑……広告年鑑みたいなやつね、それを机にどーんと置かれて「チームを作れ」って言われてさ。5人一組になって。その年鑑には作品が2000点ぐらい載ってるんだけど、先生が「この中から、良いと思う作品をチームで選びなさい」って。で、自分が選んだ中の一つが佐古田英一さんの作ったロゴだったの。

実は佐古田さんはここの専門学校出身で、担任も一緒で。たまたまその先生が佐古田さんと話す機会があったとき、「そういえば今の生徒が良いっていってたぞ」って言ってくれたみたいで。「じゃあ遊びに来るように言ってください」ってなって、遊びに行く機会を得たわけ。訪問当日にカバンが盗まれるアクシデントがあったりして、実際に伺ったのは半年後になっちゃったんだけどね。

自分は当時、学校ではけっこうA評価が多かったの。なんとなく学校の評価の取り方はわかってるつもりだった。こうやったらいけるだろう、これだけ作りこんだらいけるだろうみたいな。

だからけっこう自信満々で、佐古田さんにも褒めてもらえるかなってポートフォリオ持って行ったら「お前のデザイン、クソじゃん。お前デザイナー辞めたほうがいいぞ」ってほんとにボロボロに言われて(笑)。俺、褒められて伸びるタイプだから(笑)ほんとにショックでさ。

ひどい(笑)。

でも、そんときに「コミュニケーション」ってことを教えてもらった。俺が言葉の端々で「デザイン=コミュニケーション」ってずっと言ってるのはそこが根底。

厳しいけど愛情があって、なんでダメなのかは全部ちゃんと教えてくれた。「飲めや」って飲まされて「俺の仕事見ろ」って、いろいろ教えてくれる。で、そのたびに「なるほど!」って思って。 それからは学校の課題とは別に、動物園のピクトグラムとか、昆虫博物館のデザインを勝手に課題として、学校終わってからMacを使ってずっと作って。で、また佐古田さんに電話して、ちょっとだけ時間つくってもらって、持って行って、ボロボロにされて(笑)それの繰り返し。ぜんぜん褒めてくれなかったけど。でも毎回、愛情もあるし、教えてくれるの。

修行の日々だね。

佐古田さんに会わなかったら絶対に今の自分はない。師匠だね、ほんとに。そこで「デザイン=コミュニケーション」っていうのを知ってから、今までの何倍もデザインが面白くなった。

自分はそれまでは、強いて言えば情報を整理する程度で、ただカッコイイもの、面白いものを作るぐらいのもんだった。だけど「どういうレンジで」「どういうコミュニケーションを取っていくか」っていうのを考えて、それをビジュアルで提起するっていうのがグラフィックデザインなんだってことを、佐古田さんは教えてくれたね。

佐古田さんは「雰囲気、感じをつくるんや」っていうのをよく言ってて。楽しい「感じ」を作る、面白い「感じ」を作る、つまり空気感を作っていくってことが大事だって。だから 自分の屋号の Metamosphere っていうのも「空気感」とか「雰囲気」を作っていくっていう言葉を入れたかったの。

あと、佐古田さんはものすごいアートディレクターだから。だから、俺が端々で「アートディレクター」「アートディレクション」に変にこだわるのは、佐古田さんみたいになりたいっていうのがずっとある。俺はまだ自分で手を動かさないと自分の意識を表現しにくいんだけど、あの人はそんなに自分で手を動かさない。

自分でやらないでそれを作れるってすごいよね。合気みたいな。作業に携わるデザイナーを通して、自分の感覚に合わせて出せるってことだもんね。

ほんとにそう。あと、デザイナーと徹底的に向き合ってるし。手を動かさなくても、自分じゃなくても空気とか感じを形にできるから、本当の意味でアートディレクターだね。

で、そんな佐古田さんに卒業制作もボロカスにいわれて(笑)。その後に就職ということで名刺を作ったんだけど、それでやっと初めて褒めてもらった。

おお!それってどういうポイントが褒められた?

4種類の蓄光のインク(蛍光灯で光るインク)、ピンク・淡いグリーン・藍色・グレーの4つを、黒い名刺に対して筆でひとつひとつ塗って、色を分けたのね。佐古田さんは大いなる愛というイメージがあったから、ピンク色を塗ったものを渡して。デザイナーの方は青い感じがしたから青を渡して、って感じで。

そしたら佐古田さんが「あれ、お前色ちがくね?」って仰ってね。

そこで「僕が会った人のインスピレーションで、イメージの色、4種類しかないけど、分けてるんですよ。佐古田さんはピンクの感じがしたんです。あと、暗い所で光るように蛍光インクで塗ってます」って答えて。

そうしたら、みんな暗いところに、机の下に名刺を持って行って光り具合を見始めた(笑)。でもそれって、色を分けてる時点で一つ話題ができたり、全員が普段とちょっと違う見方をするという「コミュニケーション」なんだよね。それで初めて「これちょっといいじゃん」みたいに褒めてもらった。

名刺ってデザインも難しいけど、コミュニケーションとしても一発目のアイテムだから、今でもすごく大事にしてる。今の自分の名刺って、10年ぐらい経ってやっと今の形に落ち着いたんだけど、90%ぐらいの人が「うわっ、分厚!」って言う。そこが切り口になって始まってくるから。

ものを伝えるんじゃなくて、きっかけを生んだっていうところが評価だったんだね。一方的に相手の心を動かすんじゃなくて、両方が動いていくようにする。行ったり来たりする。

それを使って起こるコミュニケーション、空気感。そこがデザインなんだよね。

グラフィックデザイナーとして

専門学校を卒業した後は?

就職活動したよ。でも、30社ぐらい受けて落ちまくった。当時の大阪は本当に景気が悪かったし、これからどんどん悪くなる空気に満ちてたときでもあって、即戦力が求められてたのかも。だから新卒はあんまり採ってもらえないっていう現状があったりする中で、けっこう自分のポートフォリオが壮大だったらしくて、「東京行った方がいいんじゃないの?」とか言われたり。

でも実務経験がどうしても必要だった。デザイナーとしての「職能としての入り口」に立たないとって思って、とにかく探しまくったね。で、やっとありついたのがすごいちっこい事務所。新聞に入ってるようなチラシを作る会社。

そこでは地図をひたすら作ったな。地図ってデザインの多くの要素を含んでるから、それはそれで楽しかったけど、チラシは印刷で使える紙やインクの制限が厳しくて。そこからだんだん、いろいろな印刷をしたいと思うようになってきた。特色はほとんど使えなかったんけど、でも自分は金色も使いたいってのあったし、UVとかPPってなんだろうって思い始めたりね。

そんなふうに考えてたら、ある日「解散」っていうメールが来た。

解散!?会社が?

そう、「今日で解散します!」って。本当は別に解散してなかったんだけど、でも「もういいや」と思って、次を探したよ。経験者になって、新卒ではなくなったしね。

一社目入るのが重要だから。

そうそう。で、前に30社ぐらい受けてたときに、超行きたい!って思ってたところがあってね。専門出た当時は書類で落ちちゃったんだけど、前の会社での実務経験をポートフォリオに入れてもう一度送ったら「面接来てください」って連絡があって。

そこは飲食店のフランチャイズをやってる会社の本部で、そこでは経営とか予算管理とか広報をやってて、その中の宣伝広報部の募集って感じだったの。

仕事の内容を見せてもらったら、けっこう高級な店舗も多かったから、DMとかチラシがすごいクオリティで。金ぴかの封筒に、箔押し、UV載ってて……みたいな。自分がいままでやりたいと思ってた印刷が簡単にできる環境だったから「これがやりたい」と思って、それで入社したね。

やっぱり実務経験がモノを言うんだね。

ほんとにね。そこはすごく面白くて、仕事出来る人もいっぱい居てね。やたらフォントに詳しい先輩がいて、そこでいろいろ教えてもらったりして。その部署は全員で10人ぐらいだったかな。

月に一回、戦略会議みたいなのがあってさ。店長とか地区長が集まって、宣伝広報部とかの本部側と店舗側で、月ごとの集客方法を打ち合わせるわけ。お店の予算の中で「街でビラ配りましょう」「今月はビラ止めて顧客にDM送りましょう」とか、提案するの。

売り上げに関わるから、真剣だよね。

そうそう、本気だよ。自分はけっこう成果出してたから、店の人にはけっこう強く出てたの。「これちゃんと配ってください」とか。でも成果出せないと逆に店の人に詰められる。「櫻井さんの言った通りやったのにダメでしたよ」とか(笑)。

一時は受け持つ店舗が50店舗ぐらいになってね。そんなにたくさんは一人では作れないから、印刷会社のデザイナーにアートディレクションしたりしつつ、そのうち重要な何案件かは「これは俺が作る」みたいに決めて、じっくり作って。そんなふうに、予算に対してどうやるかを考えられたのも、大事な経験だったな。

会社としては割とちゃんとした感じだったから、評価制度も360度評価制で、成果を上げればきちんと評価されてた。だから、そこでの日々はほんと面白すぎて、15日ぐらい会社に泊まったりしてたね。イス3つ並べて寝て、起きたら朝礼だったり。

RINNELと遭遇

ウェブを最初にみたのはいつごろ?

専門の時に見たけど、あんまりウェブをわかってなかった。家も何かと遅れてて、パソコンはずっとなかったね。だからインターネットに触れたのは遅かった。12年前、20歳ぐらい。マギちゃん(※聞き手のこと)がバリバリやってたときに「インターネット??」って感じだった。だから、ちゃんと意識して使ったのはだいぶあと。お金がいっぱい掛かるのも怖かったし。

ダイヤルアップだったしね。

そうそう。そこそこ使うようになってからも、基本はYahooとかで調べ物をするぐらい。それまではプロバイダのアカウントも無かったから、メールの使い方もよく分かってなかった。

それまではただ単にツールとして使ってたと。そんな状況の中で、ユーキくんはあの衝撃を受けたわけだ。

当時の会社の中で、MdNデザイナーズファイルってのを見てたの。それを見てたら「Koichi Wakame」って名前と、サイトのスクリーンショットが載っててね。カッコいいウェブサイト作ってる人なんだなあって。その当時はウェブをそんなに意識してなかったからさ。

で、プロフィールをみたら1982年って書いてあるの。「え、72年の間違いじゃない?」って。グラフィックの世界ってヒエラルキーがあってさ、30歳ぐらいまで誰かの下で働いたらやっと名前が出る、みたいな感じだったから。いまはそこまでじゃないのかもしれないけど、作品を作るのに印刷費が掛かったりとかいう事情もあったしね。

2004年当時だから、22歳。すげー若いなと。プロフィール写真も若そうだし、立花ハジメデザインで働いてたとか書いてあって、なんだなんだと思って、サイトみたらアレ。RINNEL。10年前にアレだからね。

当時さ、ちっこいアワードがいっぱいあったの。今でいうFWAのちっこい版。Plastic Pilots Award とか、Dope Award とか。当時そこに載ったらバナーみたいなのをもらえて、当時のFlashサイトってEnterページがあったから、そこにワッペンを貼るのが流行ってた。で、RINNELみたらソレがめっちゃ貼ってあって、「すげえ!カッコいい」と。

で、サイトを見たらもう……。それまでは実のところ「所詮ウェブ」って感じがあったの。当時グラフィックとウェブの差ってすごくあったし、特にクライアントワークではグラフィックのお下がりを使ってオープニング Flash を作るとか、そんな感じだったから、「ウェブは言ってもウェブだよね」ってのがすごくあった。

でも RINNEL を見に行くと、JavaScriptでウィンドウが最大化されて、クリックでパネルが動いて、サウンドも再生されて……。ひとつの空間だよね。度肝抜かれた。

どのへんが特に衝撃的だった?

当時はウェブサイトは狭い世界っていうイメージがあったんだけど、そこにコレじゃん。音もそうだけど、全体感の真ん中にある感じ。RINNEL はこの白場もぜんぶ空間として上手く使ってた。もちろん狭くても成立するんだけど、広いディスプレイでも成立してて。いままでの知ってるウェブの狭苦しさみたいなのがまったくないのが衝撃だったな。

そして実力があったら、正当に認めてもらえる世界。おっさんでも若造でも赤ちゃんでも、ディスプレイの向こう側にいるのはRINNELなんだよね。その正当性はものすごい惹かれた。日本ていう枠を飛び出して、若い人でもいきなりグローバルに認められて、すごいものはすごいって評価されるという、インターネットという世界を再認識した。

RINNELは「自分の意識の中でのインターネットの始まり」といっても過言ではないね。

そうだね、ウェブがウェブらしいっていうのは、垣根がないってところだよね。接続さえできればヨーイドンで同じだから。

ほんと衝撃を受けたわけよ。いろんなことにびっくりした。まず、自分より年下でここまですげえやつがいるってのが衝撃。自分の中ではけっこうイケてるつもりだったんだけど、相手にならないぐらいすごい。

あと、自分もクラブのフライヤーを作ったりVJもやったりしてたけど、それを上手く見せる、広報する方法がわかってなくて。そこも RINNEL はいとも簡単にやっててたし、革命だったね。

で、このサイトのリンク集に入りたいと思うようになったんだよね。俺のちょっと前にゲリラのeggraphixって入ってて。懐かしいな。

meltgraphica、そしてmokuva

そこから、ユーキくんのサイトが生まれたんだよね。

当時のサイトはみんなBBSがあって、そこで交流してたんだけど。RINNELの掲示板の中に「eggraphix」っていう書き込みがあってさ。見てみたらこれもすげえカッコいいなと。しかも大阪じゃんと。で、カッコいいから RINNEL と友達になってるわけ、BBSで(笑)。それを見て「俺もRINNELと友達になりてえ!」って思ったんだよね。

ワカメくんはすごく優しかったの。どんなサイトでも「素敵なサイトですね」「かわいいサイトですね」「相互リンクお願いします」みたいな感じでね。でも記憶に残らなかったら、俺もそれと一緒になっちゃう、それはイヤだと思って。自分のグラフィックである程度は「おっ」って思われてから仲間になりたい、っていうのが自分の中での目標だった。

で、どうしようかなと。作品はある。でも彼に触れるにはメールでグラフィック送ったりしてもしょうがない、割と近い距離じゃないと無理だろうと。じゃあまず自分の作品を綺麗に写真に撮って、あとはカッコいいサイトを頑張って作ろうと。

そういうわけで、フルFlashでサイトを作った。それがmeltgraphicaのバージョン1。3ヶ月ぐらい「わかんねー」って言いながら徹夜で作って、やっと完成して、そこで初めてRINNELのBBSに緊張しながら書き込んで……相互リンクしたの。

すごい!

その流れでeggraphixのサイトにも行って。いままで見てなかったようなフリをして「いいですね!RINNELさんからきました」ってBBSに書き込んで(笑)。同時にmixi上でも友達になった。

(笑)「○○から来ました」とか、昔は言ってたよね。

で、それと並行して、ヨザが俺のサイト見たのかな、「参りましたー!」っていうタイトルのメールが来て……よくわかんないなと思いながら(笑)メールを見たら「サイトやポートフォリオみて衝撃受けましたマイミクよろしくお願いします!」って。年も一緒ぐらいだし、ヨザのところを見たらMTVの仕事してて、なんかカッコいいキャラ描いてるなと。

当時、年も同じくらいだし、ゲリラのウェブの可能性みたいなのがすごいあったから、自分のグラフィックとゲリラのウェブとで一緒になんかできたらって考えてた。最初の mokuva みたいなグループは、ゲリラと二人でやろうとしてたの。で、ヨザがなんか、独特の嗅覚でその空気を感じ取った。サッと入ってきて「3人でやろう」みたいになって(笑)。それで第一期のmokuvaが誕生した。

昨日ゲリラに「ヨザんちに集まったときにガンダムの本があって」って話を聞いたよ。

でも名前は確か、本を見る前に俺が決めてたと思うなあ。ガンダムがみんな好きだったし、みんながあつまる基地みたいな名前にしたいなってことで。で、ふつうの「mokuba」だとドメイン取れなかったから、vにしたの。

結成した当時は何かをやろうとして、ひとまずmokuvaのサイトを作って9ZAKUにも取り上げてもらったりして、でもまだ何もやってない、そんな感じだったね。

東京、そしてartlessへ

そのあたりのタイミングで、東京へ来ることになるんだよね。

当時の会社は待遇も環境もすごく良かったんだけど、自分はけっこう我流なところもあったから、一回はしっかりしたところでちゃんとやってみないと、この先無いかなと思って。そこでちょっと動いてみたのね。そうしたら、ひょんなことから東京の会社に行くことになった。

ゲリラとヨザと、伝説のTシャツ展(笑)をやっていく中で、自分が大阪出ることになったって話をして。でもみんないつか東京に出るっていうから「向こうで必ず会おう」みたいに話してね。

で、東京に来てみたら、その会社は自分が憧れてたところではあったんだけど、どうしても自分には合わなくて、すぐに退職したの。そのときはホントにもう、目標を完全に見失ったって感じで放心してたけど、まあせっかく東京に来たから、もう少し居ようと思ったのね。

そのころ、東京に来て1ヶ月とかだもんね。

そうそう。帰るのはいつだって帰れるから。それには、ひとまず食べていかないといけない、じゃあどうしようかなと思って、アシスタントでいいから雇ってくれってポートフォリオ持って何社か周ったの。でも「君、アートディレクター領域だから、パワーバランス的におかしなことになる」とか言われて、枠が違って採用されないっていう状態になってて。

自分としてはアシスタント業務からやるって言っても、受からなかった。でもアートディレクターの募集もなくて、どこにも受からなくなって、本当の意味で待った無しになってね。「あれっヤバイ、帰るしかないのか」ってなったときに、「そうだ、せっかく東京でてきたんだから、東京の人と会いたい」って思ったの。

で、ワカメくんと、川上俊さんの弟のケイくん、この二人に会って帰ろうって思って。まずワカメくんに会って。なんか、しゅっとしたハンサムな青年が出てきて(笑)。話して、気が合うなーと思って。会えてよかったなと。

次にケイくんに会ったとき、「artlessでクリスマスパーティやるから、良かったら来ない?」って誘われて「行く行く、ニートだし」って(笑)。で、そのパーティで俊さんを紹介してもらったの。「あなたがartlessの」って感じで。でもそのとき自分がartlessに入るなんて全く思ってなかった。

転機の予感。

当時、artlessとProjectorは事務所をシェアしててね。けっこうこの部屋に似た感じのとこで、ここよりもう少し広いような感じ。そのときちょうどProjectorの田中さんがアートディレクターとデザイナーを捜してたんだけど、ケイくんが田中さんに僕のことを話してくれたみたいで、一回会ってみたいってことになったの。

ご飯食べて、田中さんがポートフォリオ見てくれて、「ちょっとうち入ってみない?」って言われて。もちろん生活したいから働きたいんだけど、でも自分がどういう役回りになるかまだ分からないから「アルバイトだったらお手伝いできます」って伝えて。で、田中さんが「それで良いから来てみない?」ってことになり、行くことになったの。

おお、なんとか乗り切ったね!

という経緯で田中さんの後ろの席で仕事するようになってね。ただ、手はそんなに遅くないから、けっこうすぐやること終わって、ぼーっとしてたの。

そんな折、当時artlessは紙の仕事がちょっと増えてきていて、紙が分かるデザイナーが必要だったみたいで。「ユーキくん、もし時間あいてるならうちのバイトもしてみない?」って言われて。「田中さんいいですか?」って聞いてみたら、「うちを優先してくれるなら、あいてる時間だったらいいよ」ってことになって。なので、自分は紙が得意だし、収入も増えるし、ってことで手伝うようになったの。でもだんだんProjectorの仕事よりartlessの仕事のほうが増えていった。

そんなある日、俊さんが田中さんに「ユーキくんをうちで社員にしたいんだけど、もらっていいですか」みたいな協議をしてくれたみたいで。田中さんも「彼はたぶんartlessに入ったほうが向いてるだろう」ってところから、artlessに入ることになったの。これがartless入社のきっかけ。

俊さんにも、田中さんにも感謝しきれないね。その中で、altressはウェブの仕事も多かったから、だんだんウェブも覚えていったって感じだよ。

mokuva 増員、CASO DESIGN

そして、2006年4月にmokuvaが増員。

この年は3人ともいろいろ動きがあって、なかなかmokuvaとしての動きが取れなかったから、固まってる結びつきをちょっとを薄めて、いっそ自分もどうなるかわからない、予想できない感じに持って行ってみようと。

で、俺からはワカメくんとコーゾーくんを連れてきて、ゲリラはトン(※津野くんのこと)をつれてきて、ヨザはマギちゃんとさこっちと左腕(※迫田くんのこと)を連れてきた。薄めようと思ってたのに逆になんか濃くなったんだけど(笑)、でもそれは結果としてすごい良かった。

しかし、ワカメくんとコーゾーくんを誘ったとき「入る」って言ってくれたのには結構びっくりしたな。「えっ、いいの?」って(笑)。

(笑)そういや、最初のmokuva会はどうだったっけ?明確に覚えがあるのはさかなんだけど。

最初は大樹苑じゃない?さかのときはだいぶ打ち解けてたはずだなあ。さかでは、マギちゃんがジョッキに入ったかち割りワイン頼んでたよね。あと溶けないパイナップルアイスと、50円のコーヒー。めちゃくちゃすぎる。いまどき50円でコーヒー飲めるのあそこしかない(※さかは閉店しました)。

そこからCASO DESIGNのサイトを、さこっちと一緒に。

artlessの仕事はやっぱり「artlessカラー」をいかに体言するか、みたいなところをひとつの課題としてやってたから、それとは別でCASOみたいな「自分のもの」っていうのをやりはじめたんだよね。

でも、なんでさこっちとやることになったんだろう。まあ、面白そうだからやってみよっかーぐらいのもんだったかも(笑)。

割とライトだね(笑)

CASOの根っこみたいなのはけっこう、さこっちと一緒にプランニングしてた。CASOって「何もない空間に壁を一個置くだけで空間が変わる、その面白さみたいなのを体言したい」っていう意味というか理念があって。だから初めは、サイトに訪れたひとが壁をつくったり、それを壊したりできるようなサイトにしよう、みたいなほんと危ない方向に(笑)ゲームみたいな方向になってた。

そこからどんどんミニマムになって、最終的には来た人の軌跡が残るみたいな感じになったんだけど、そのミーティングしてたのは覚えてる。うちの会社がある渋谷に来てたんだよね。カフェみたいなところで「壊せたら面白くない?」みたいに話してさ(笑)。でも、割といつもそうなんだけどね。盛るだけ盛ってそこからミニマムにしていくような作業をするから。

さこっちとやるのは初めてだったんだよね。

そう、初めて。その時は、動きは完全にさこっちに任せようと思った。インタラクティブを人にゆだねる面白さみたいな。のちにそれが、ある種の歯がゆさになる部分でもあるんだけど。はじめがスゴすぎたからね。

もう、びっくりした。自分のスタティックなものに生命が吹き込まれた感じだった。完全に自分の予想の斜め上を行くモノを上げてきたから「ええーっ」って。あ、生きてるなって思ったね。ほんとCASOはびっくりした。あれはもう別格の体験だったね。

空間との対峙

とかrorrimとかの空間系、インテリアの案件についても、自分がほとんど経験ないから今日聞きたいなと思ってた。経験がないからか、空間っていうとなんだか遠いものってイメージが出ちゃうんだけど。

俺はけっこう逆で、見えなかったり、実体が無いものがすごく意味がわからない感じで。自分がプログラミングできないのも、それがあるのかもしれないけど。

抽象的なものってことか。データとか。

そうそう、そういうのが基本は意味不明な感じ(笑)。そういう意味では、データより空間のほうが自分のフィールドに近いね。

楓は……一番初めはトンから、店のロゴとかウェブが必要ってことでゲリラ経由で話が来て。そこからmokuvaで、ヨザも含めて3人でロゴだして、クライアントに選んでもらったもので行こうって話をして。そのときは自分のやつが通ったのかな。

あのときもびっくりしたよね。自分と同い年ぐらいのやつが、しかもグラフィックよりもヒエラルキーがありそうな世界で、いきなりあの店舗を作っててさ。

確かにそうだよね。俺、津野くんのことほとんど知らなくて。

あいつは面白いよ。

最後に会ったの、津野くんが携帯の販売員してるときだったもん。iPhone3GS 売ってもらったよ。ソフトバンクの販売員やってて、確か地域ナンバーワンで。

なにそれ!なにやってんだあいつ。前にヤフーの販売員やってたときも地域ナンバーワンだったよ(笑)。地区長みたいになってて。あいつがちゃんとした人間だったらものスゴい。でも稼いだ金をほとんどキャバクラで使うとか、滅茶苦茶で(笑)。トンで一冊、本書けるな。でもそれがあいつの良いところだから。

仕事はほんとスゴいよ。何店舗かいっしょにやったし、すごいマッチしたよね。自分がやってきたグラフィックがあそこまで活きるステージってなかった。

rorrim は、建築のコンペサイトみたいなところで、30社ぐらいのコンペでね。トン起点みたいなところもありつつ、ストーリーは俺が考えたり、みたいな感じでやってたね。

電車で疲れて家に帰るときに、夜景に自分の顔が写って「あ、自分疲れてるな」とかさ、鏡によって自分の健康状態みたいなのを知ることって多いじゃない。

そこで、自分を見つめ直せる場所、みたいなコンセプトで作ったのよ。そのコンセプトに沿って、少ない坪数を広く見せる意味でも、プラスチックの黒い鏡面の素材を使いたいって提案してね。ギラギラ鏡ではなく大人な感じで店内を広く見せたいって話をして。

なるほど、だから鏡、rorrimね。

そう、名前もコンセプトに入れてね。ほかの会社はいきなりパースからはじまるけど、こっちはネーミングのコンセプトから考えて、きちんとコンセプトシートを作って提案した。

それって、お客さんの最初のニーズとかってどんなのがあった?

いや、スタンディングバーの店を出したい、ぐらいの話だったね。

そこだけ決まってたってことだね。いまの聞いて、なるほどねって思った。ウェブだろうがグラフィックだろうが空間だろうが、コンセプトがあって、それを何で出すかが違うだけってことだね。

ホントそう。ああいうの、またやりたいけどね、ほんと。

いつかやることになるんじゃない?個人同士がタイミングがあえば一緒にやる、みたいなことで。

血の契約ならぬ肉の契約ね(笑)。

Metamosphere 設立

そして2008年に独立。BEYESの案件で確立した「自分が独立した意味」とは?

まず、時間。artlessにいた頃は、CASOとかバロンさんのサイトも、フルフルに時間使えたわけじゃないからさ。大阪にいたころからだけど、会社の仕事をしてから夜にがんばってたような感じ。自分の作りたいものを作る時間が夜に限定されてたから、それがふつうの時間も出来るっていうのが大きくて。

あとは artless のときは会社のカラーを意識して作ってたけど、独立したらそれが無くなるよね。BEYESはartlessとはだいぶ違うテイストだったし、運良く自分のやりたいことが企画から出来たっていうのも大きかった。

写真の周りの点線が、ユーキくんらしいなと思うんだよね。やっぱりユーキくんのデザインからは、ユーキくんが作ったっていう雰囲気を感じるよ。

あれ、どうしてもやりたかったんだよね。手癖なのかな。よく言われるからね「わかる」って。

というより、ものの着目の仕方なのかも。レイアウトとか文字の感じっていうより、持ってくるものが、懐かしくも新しいって感じになってる気がする。

なるほどね。そういうところでいうと BEAMS ARTS なんかは完全にプロダクトを意識してたから、よりわかりやすいかも。ジャンル分けを見せるってところで、neafの積み木みたいな感じで、モノとして見せる。そういうところからインターフェースの概念を考えていった。

マウスホイールで行ったりきたり、くっついたり離れたりっていうのは、手でおもちゃを触っているような、そういうイメージがあったね。表現としては「カルチャーは生きている」っていうものからああいう生物的なところに行ってるけど、操作的にも、あれはすごく手触り感のあるサイトだと思う。

いろいろモノを作ってたころの感覚があるから、そこを起点のひとつにして作っていると、結果的に「らしさ」っていうのが出てくるんじゃないかな。

確かにそうね。表現とか、けっこう作っている中できれいに……刀鍛冶じゃないけど、手の感覚を思い出しながらそこで整形してる感じはある。

文字を武器に携えて

流響院では、制作の方針を逆に教わった気がするってことだけど。

そうだね。職人の技を見てると、本質をより硬度を増して作ってるのを感じて。で、自分にできる質を上げる方法を考えて。阿南さんはモーションデザインがすばらしいから、自分らができる一番の質実剛健さを限界まで追求したかな。動き、気持ちよさ、文字の綺麗さ。

ユーキくんに置けるそれは、文字の綺麗さ?

うん、あと全体のアートディレクションね。アートディレクションが一番だけど、文字に注力していくっていう方法だね。もちろん、文字は内容を伝えるものだから、中身についても阿南さんときっちり話していったし。

ユーキくんがフォント、文字にこだわりを持ち始めた理由ってある?

本人としてはそこまで文字に傾倒してる印象はないんだよね、実は。みんなが思ってるほど文字オタクでもないし、分かってないこともいっぱいある。でもデザイナーとしては必要なことじゃん。知識とか。そういう割り切りは結構あったりするけどね。

好きは好きだけど、ってことだね。

デザイナーとしての武器の一つで、自分においては当たり前のことだと思うんだよね。郎文堂講師っていうネームバリューは大きいから、そのへんは気をつけたい。写真に対しても同じように詳しくありたいし、印刷についても同じ。そういう一つの要素かな。

郎文堂によってそういう見られ方をするけど、前からデザインの要素として向き合ってきたと。

もちろん、あそこに行ったからより見れるようになったってのもあるんだけどさ。好きだからこそ、正しく向き合いたいっていうのはあるね。

今までの結実

あとは、2011年。Google プレイスはいままで聞いてきた流れが結実したって感じだよね。この案件の自体のテーマ、人を元気づける、日常を取り戻すってのも、ユーキくんの「日常の豊かさ」に近いところがあるだろうし。

そういう意味で、この仕事は自分にとって大きいよね。感慨深いよ。

あと、巨大なピン。あれもすごくユーキくんらしい表現。向こうのモノをこっちに持ってきて、でもそのままっていうところが。時間軸の横断もあるけど、ジャンルの横断みたいな。

垣根を特に設けないってところかな。ピンの認知度もあるしね。いろんなタイミングでベストだった。一番伝わるコミュニケーションがあのピンだったっていう。

けっこう「覚えてる」、ユーキくんは。ふつうはそれを思い出さないよね、っていうのを持ってくる。それあったか、っていう。

だとしたらすごく良いことだよね。変なモノを見てるからかも、街とかで。

何か新しいものを作るっていうより、これでいいじゃんって見つけてくるのがユーキくんのデザインの本質な気がする。

そこだよね、アートディレクションというか、着目点。必要となる可能性があるものを集めて、何を捨てて、どのレンジで入れていくかっていうこと。そういう意味ではIA(情報アーキテクチャ)と似てるところもあるよね。古物商なんかにも似てるのかも。

師匠の佐古田さんも言ってたことなんだけど、良いものばっかり見ろと。そうしていたら、悪いモノはわかるから、って。良いコミュニケーションの取り方を見てたら悪いモノはわかる。いいものはスゴくシンプルだったりするから。そういうことを俺に言ってくれてた。

これじゃない感に気づく。ハマらないときに、その違和感がわかるんだよね。

そのときにバシッとそれを取り除けるっていう。そこも多いんだよね。一緒に仕事するパートナーにしても、良い物を見てると、その人の良い所っていうのが見える。キュレーションも大きな要素だからね。

Google プレイスでいうと、ピンもあるけど、鉛筆だよね。鉛筆のコピー。

あれは優しい空気を出すための一つの方法で。Googleのテンションとも合ってるしね。すごくテクニカルだけど、どっかあそこ人間的じゃん。後ろに人がいるのがすごくわかるというか、エンジニアの顔が見える感じ。割と「やっぱ人でしょ」みたいなのがある。不思議なもんでね。

でも、Googleのコンセプトは「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」だから。あくまで人が使えるようにするためってことだからね。あの鉛筆の感じは、優しい感じもあったけど、仙台の文脈で言うと「アメリカは宇宙で書けるボールペンを使った、一方ソ連は鉛筆を使った」っていうのを思いだした。確実さ、絶対書けるっていう。

手に馴染む感じ、覚えてる感じね。なるほど、確かに。

秘密の宝箱

これはみんなに聞いてるんだけど、自分が作ったものが自分として納得できる感じって、どうなると生まれるかな。

割と「宝箱感」があるときかも。自分のなかの大事な宝箱に入れて、ほくほくしてるのが正解かもね、個人としては。BEYES とか流響院はすごく盛り上がったわけではないけど、ときどき夜に見て、いいな……みたいな、虎の子感(笑)。デザイナー的にはコミュニケーションが取れたかってのがもちろんあるけど、個人としては宝箱感、みたいなところはあるかな。

いいね、宝箱。

夜ときどきこっそり出して見るコレクション、カードダスのキラだよね。大事なのよ。ChronoHEADのCDジャケットとかも。あれはメンバーがめっちゃ気に入ってくれてるってのもあるし、自分も超楽しんでるし、宝箱に入れてるよ。

入るのと入らないものの境界ってある?

別に明確なルールも審査もないつもり。思い入れは全部あるしね、それぞれすごい時間を掛けてやってるし。でも賞を取ったから宝箱に入る、ってわけでもない。それはそれで嬉しいし、プロジェクトメンバーも喜んでくれるんだけどね。

自分の場合は「自分がやらなかったら、できなかっただろうな」っていう、自分がやれた意義みたいなのを感じた時、宝箱に入るのかもって思う。

確かにそうかもしれない。周りの影響や掛けた時間じゃなくて、ってことだね。

mokuva のこれから

mokuva のロゴ作ったとき、どんな意味を込めた?

当時はインターネットで出したモノが即、世界に出るっていうのが自分にとってもの凄い衝撃だった。だから、あのときはグローバルな意識っていうのがあったね。今の俺らの時代の日本人は、外国のカルチャーがどんどん入ってるしさ。

だから逆にグローバルに対して、ちょっと日本ぽい空気を出しつつ、でも英語でもないし、っていう「混ざった感」を出す、というところでああいう形になったね。そして人数が増えたとき、もう少し太くて力強い感じにしたいなと思って、リファインした。

そういう意識があったんだ。

というか、もう世界に進出はしてるんだよね。ワカメくんはまんまそうだったからさ。RINNEL は世界レベルだったもん。King For a Week(※ウェブサイトのデザインを評価するランキング)の椅子の上に、他はみんな外国人の中、RINNEL のスクリーンショットが載ってて。俺の中でインターネットってものはそういうもの。あれは衝撃すぎたね。

でも、今後は mokuva 全員がそうなってくるんじゃない?日本以外からもふつうに注目を浴びる。で、「mokuvaってなんだ?」っていうステージになってくると思う。このロゴの感じを体言できるようになっていかないと、って思うよ。

確かに、レベル感としてはそういう位置に来てるね。

まさにその段階を迎えるにふさわしい今回の展覧会。宣伝美術もかなり気合入ってるし。

今回は半分以上をそっちに割いてたよ。おかげで自分の作品がかなりギリギリ(笑)。でもやりがいはある。

こういうグループを作るのって初めて?

はじめてだね。そういう行動を起こそうと思うぐらい、ワカメくんとゲリラにはびっくりしたよね。ほんとびっくりした。若くて、あれだけクオリティ高くて、ちゃんと表に出てて。

実は最初のころは、グラフィックとウェブとイラストレーションの融合、ケミストリーみたいなコンセプトがあったんだよ。

3人のときね。

そうそう。3人のときは「何かしよう」っていうのを目標に立てたグループだったんだけど、なんか変にそれを意識しちゃって、ちょっと停滞感が出てきて。無理にそれをやるのも良くないかなと思うようになり、もう少し違うカラーを入れて薄めたいって考えて。……さっきも言ったけど、結果としては濃くなったんだけどさ(笑)。

で、メンバーを増やすのと同時に「何かやる」っていうのを抜いた。うまくコラボレーションできるときはしたらいいし、いつか何か起こるだろうっていう、ゆるい方向にしようと。

なるほど、そういう経緯だったんだ。ユーキくんはそのころから、mokuvaをプロデュースするような意識があったってことかな。

メンバーがこんな感じだから、俺がその位置になったっていう感じもあるね。全く何もなかったらバラっとしちゃうかもしれないし、今回の展覧会みたいなのもなかなかできないし。

でも、周りからの見え方みたいなのは考えたりするけど、真剣にディレクションしちゃうと良くないと思うんだよね。みんな思うようには動かないだろうし(笑)。なかなかフリーキーな感じのメンバーが多いから。だから逆に「力を抜いて、予想できない感じを楽しもう」って思って。

流れに身を任せながら、締めるところは締める。ブレさせたくないところは決めて、「ここまでは上げる、それより下の見え方はしない」って感じにはする。そこから先、上に行く分には突き抜けてくれればいい。そこからはやんちゃなやつらが思いっきり暴れてくれたら、それ以上のことはないからさ。

見返りを求めない、mokuva 愛

そんなフリーキーな集まりでも(笑)ある種のまとまり感があるのはなんでだろうね。

みんなも割とそうだと思うんだけど、いい意味でアテにしないというか、見返りを求めてないってのはあるよね。

自分のことは自分で、っていうのがベースにあるね、確かに。自立して集まってる。

俺も人にはあんまり頼らないというか、変に自分への見返りを求めたり、相手に期待を掛けないところがあるから。見返りを求めるっていうのは何しろよくないじゃん。そういうのを mokuva メンバーには求めてない。

そういうストイックさはみんなが認めるところだよ。

ストイックにやらないとね。そこまで才能があるほうじゃないから、向き合わないと。

でも、それが徹底してるからこそ、みんなユーキくんの発言には耳を傾けるんだろうし。

みんながそういう風に言ってくれるのは、俺が「相手のことを考えている」ってことに一切の引け目がない、キラキラした状態で発言するからじゃないかな(笑)。自分が適当に考えてたり、そこに自分の利益とかを優先しているんだと、みんな納得や賛同をしてくれないだろうしね。

トータルでは mokuva のことを一番考えているであろう、「mokuva への愛」みたいなのが伝わったのかなって。

ホワイトベースに乗っちゃった

妙に仲間意識があるのって、やっぱり同年代だから、見ているモノだったり、何かが起きたタイミングが近かったっていうのがあるんだろうね。

その見てるモノのいっしょ感が、まさにガンダムだったりするんだよね。mokuva って結果的には、本当にいい名前だなって。ホワイトベースだからさ。

いままで全員「これをやるぞ」と思って子どもの頃から目指してきたとかではなく、いろいろ紆余曲折あって今こうしてる、みたいな流れも共通してるのかもね。元はただ単にサイド7に居ただけなのに、ザクが来るからさ。

ほんとその通りだよね。ザクが来ちゃう。で「こいつ……動くぞ」って。

とりあえず動かしたんだよ、V作戦のロゴが入ったマニュアルを見て。で、そのままワケもわからずホワイトベースに乗ってしまった(笑)。俺も mokuva 入ったときは「よーしやるぞー」じゃなくて「なんか呼ばれたから行ってみるか」って感じだったからね。

乗っちゃった感あるよね。で、乗ったら乗ったで「やればいいんでしょ」とか言いながら(笑)。

ずっとそうしてたら、ニュータイプになっちゃったっていう(笑)。

みんなも、みんなの活躍を楽しみにしてるし、刺激も受けてるしね。年に1〜2回しか肉食わないんだけど、みんな「メンバーオブ mokuva」として活動してる。

結成からいままで、全員ちゃんとやってきたのがすごいよね。

そういうメンバーを集めたからね。結果として予想よりすごかったけど。やっぱ作ってきたモノに現れるじゃん、簡単に。だから、それ見てたらどれぐらい真摯に仕事と向き合ってるかどうかが分かるし、逆にいうと自分もすぐバレちゃうから。そういう意味ではみんな本気出してる。

さっき話した「宝箱感」にも近いかもね。「蓋を開けたら、とびきりのメンバーが集まってる」っていうのをやりたかったんだけど、想像以上になった。

そこで言うと、最近のヨザのCUT & PASTE 優勝はうれしかったね。

あれは本人も mokuva メンバーの一員として、相当うれしかったみたいだよ。

ヨザはここ1〜2年でしっかりしたなと。今回も、自分の能力を出せる機会だから気合いも入ってるし。

あと、個人的にはメンバー同士が仲良く喋ってるのは、自分が関われた結果かなって思ったりして、なんかすごく親心なところがあるね。

たとえばマギちゃんとコーゾーくんが歩いてて、二人が喋ってるのをみるとすごくほほえましいというか、いいなーって。もともと知り合いのマギとヨザが喋ってるんじゃなくて、マギちゃんとコーゾーくんっていうのが良い絵だなって。

コーゾー君とは仕事の話はほとんどしないからね。吉祥寺でハンバーグ食べて、「マギくん、ヨガやらない?」って。あとヨザとコーゾーくんと三人で吉祥寺のジムに行って「やっぱ無理じゃない?」っていいながらビール飲んだりとか。

mokuva じゃなかったら、そこにコーゾーくんは入らないじゃん。それがすごく微笑ましい。

確かにそのとおりだね。

俺がほんとに大事にしてるメールなんだけど、マギちゃんが mokuva メーリングリストに送ってきた「まだ僕には帰れる所があるんだ。こんなに嬉しいことはない。」っていうのがすごくしっくりくるよね。

家でもない、会社でもない、第三の帰れるところ。

みんなやっぱ大事にしてるじゃん、ホームとしてさ。で、妙にファミリー感があるんだけど、絶妙にバラバラな感じもある。いまベストな感じだよ。それで今回一発どーんと打ち上げる花火がいいタイミングだし、逆にここを逃すと一生無い気がしたわけ。

mokuva は自分の中でのイメージ以上、最上級レベルの出来。ほんとはヤルやつが、なんかナメてる感じ。ふざけてるんだけど、本気でふざけてる。今回のイベントも「あいつらがなんかやりやがった感」ってのがあるしね。そして嵐のように去っていくと(笑)。

でも、それは対外的なところで、あとはみんなが最高に楽しめたら目標達成だね。

2013年2月12日および2月25日
Metamosphere Inc. にて